べるぐふぉるむ広報(仮)

サークルBergFormの活動記録

感情の排泄が出来なくなったとしても

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私は絵を描くことを愛しているよ。


今回作業報告ではなく、考えていたいろいろの話です。
自分のためだけの文章です。

 

「君の絵はうまいけどありがちな絵だね」と言われてから面白い絵、私にしか描けない絵、他の人にあって私にないものってなんだろうって考えている。

 

画力を上げればおのずと自分の作風が見つかるものだと思っていたけど、私の絵柄は今まで見てきたイラストの欠片の寄せ集めなのかもしれないと思い、真っ暗闇に放り出されたような虚無感に襲われる。

 

前、絵を描くときは感情優位で描いていた。いつも絵を描くときは感情を揺らされる何かがあって(怒りとか嫉妬とか性欲とか悲しみ、喜びetc…)吐き出さないと自分自身が参ってしまいそうだった。感情の排泄を紙に描いて、それを私の絵と呼んでいた。

 

今、感情のブレがあまりない、よく言えば心が安定している。

ぶれたとしても自分でコントロールができる状態の私は、何を描いたらいいのか正直わからなくなっている。


あんまり忙しくて自分が何が好きだったのかわからない状態なのかとも少し思う。でもだからと言って絵を描くことは辞めたくない、
でも今の自分の描く絵は面白くない。

 

考察

 

以前の自分は絵を描くとき人に見せる前提で描いていた。面白いって思ってもらえるようにいっぱい工夫をしていた。細かいモチーフ、なにかのオマージュ、ネタ要素、比喩、暗喩表現。

 

サービス精神と創造力、と妄想力の欠如が著しくて悲しい。でも一番悲しいのは最近「さびしい」時間がほぼないこと。

 

絵の種は悩んでいるとき、さびしいとき、歩いているとき(特に帰り道)ばかり浮かんでいたような気がする。

 

結局、圧倒的インプット、アウトプット不足。自分の中のものさしが馬鹿になっている。

 

感情優位でなく、自分優位で絵が描きたい。闇を感じなくなっても絵を描き続ける為にはどうすれば?メンヘラ絵師がメンヘラじゃなくなったら絵そのものを続ける価値は?

 

いや感情優位ということは結局のところ、多少人の目を気にしていたとしても、ずっと自分の為に描いていたわけで。

 

結論
もう自分のためだけに描く必要があんまりなくなった。でも絵を描くことは大好き。描きたいモチーフを見つける為にもインプット、アウトプットを増やすこと。私は見る人を楽しませるために描きたい。

 

でも自分の為に描く絵も超楽しいんだけどね(てへ)